あたしは、その男のことを心の中で『じじい』と呼んでいた。多分、じじいと呼ぶには上品すぎて、まだ早い年齢だろう。でもあたしにしてみればじじいで十分だ。じじいとの出会いは至極簡単なものだ。母親の経営している宝石店の常連客でたまたまあたしが留守を預かっていたときにやってきた。なんでも、奥さんへの贈り物にするという指輪を探しにやってきたらしい。相手があたしと知って、母が来るまで待ってもいいだろうかと、至極丁寧に訊ねてきた。マフィアのボスなんてものをやっていると聞いたからどんな尊大で横柄な態度をとられるかと思っていたけれど、あまりの慇懃さに面食らってしまったのだ。簡単な話をひとつふたつしたことくらいしか覚えていないが、じじいはあたしを気に入ったらしくまた来ると言って去っていった。奥さんへの指輪のことなど、とうに忘れてしまっているのかと思ったがそうではないらしい。その証拠に、母親が幾日か過ぎた日に届けてくるようにと丁寧に包装された小さな箱をあたしに手渡したのだ。どういうことかと聞けば、今日はイタリアの議員たちが集まるちょっとしたパーティーがあるからだとかで席を外せないらしく、あたしにじじいへ届けてこいというのだ。渋々届けに行った先で、あたしとじじいの付き合いは始まった。セキュリティは行き届いているマンションの一室で、じじいはあたしに寂しいという。それは抱かせて欲しいという意味なのかと問いかければそうではないという。ただ、誰かに側にいてもらいたいのだという。奥さんはどうしたと問いかければ、家に帰っても殆どいないのだか。あたしに何をさせたいのかとまた問いかければ、ただ側にいてくれるだけでいいのだと言った。金はいくらでもやる、とも。お金をもらえると聞いて一瞬心が動かされたのは事実だけど、それじゃまるであたしは商売女だ。そんなお金で価値をつけて欲しいわけじゃない、と憤ると、じじいは君に貴重な時間を割いてもらうんだ。その時間を金で買うだけだ、と嘯いた。馬鹿みたいだと思いながらも、あたしはこれ以上抵抗することを諦め、べつにいいよ。と答えた。短大には行ったが就職は家事手伝いみたいなものだし、大きな収入は得られない。それに、じじいの遊びみたいなものにつきやってやるのも良いかもしれないとおもったのだ。いわゆる愛人ごっこみたいなやつだ。危険な事をしている自覚はあるというのにお互いばかみたいに引こうとしない、その上このじじいは相当な策略家だった。愛人同席なんていうパーティーにつれていかれたり、じじいのために料理をつくってやったり、一緒にメシを喰ったり酒を飲んだり。多分、父親がいたならこんな感じなのだろう。だが、じじいにとっては少し違うのだと思う。じじいが奥さんに買った宝石のように、あたしはこいつの身を飾る装飾品みたいなものなのだろう。本当のところはどうなのかと問いかけたかったが、あたしはついぞ、じじいに質問をすることはなかった。


「もうじき春か、早いものだ」


冬のど真ん中、それでもファッション界の中心部にあるイタリアにはもう春の準備が整い始めた報せが届く頃になっていた。皮張りの心地よいソファーの上でカレンダーを眺めながらじじいは言う。あたしはいつものようにじじいの隣で寝転がりながら、もう二月なのか、と心の中で呟いた。このごっこ遊びには期間はなかったが、もう半年以上経っているのだと思うと妙に時間の流れを早く感じた。じじいはテレビを見ているのか、リビングからは日本の伝統的な・・・だとか、断片的な情報が耳に飛び込んでくる。そういえば、じじいは今度時間がありさえすれば日本に行きたいと言っていた。マフィアの親玉がそんなのんきなことを言っていていいのかと思ったが、そうでもないらしい。日本には、何か大切なものがあるらしいのだ。


「ねぇ、なに? あれ」

「玉蟲厨子だよ。・・・きみは日本人だろう? 歴史の授業で習わなかったのかい?」

「ハーフだから覚えてないわよ。それに・・・日本は遠いし」


実際、うちの母さんは東洋人―それも、恐らく日本人なのだ。けれど、親が日本人だからって、日本のことに詳しいわけじゃない。私はイタリアで生まれ育ったわけだし、母国といったらイタリアで、決してそれは日本じゃないのだ。それに、歴史の記憶なんて広げてしまうと、あたしにしてみたら、東の国は中国を覚えるまでで精いっぱいってやつだった。イタリアで、日本語や文学の教育なんかは凄く進んでいるけど、それにしたって行くには遠い。近いようで遠い、それが日本だ。日本のアニメが放送されていることは珍しくないが、建物や工芸品が紹介されるのは珍しい。そして、じじいの言うタマムシズシというやつは不思議な形をした箱だった。否、形と言うよりも模様と言った方が正しいだろう。テレビの中で不思議な色を放つその厨子にあたしの目は釘付けになった。


「あれを作るのに何百という玉蟲の羽をむしるんだよ。残酷だからこそ美しいだろう」

「・・・ふぅん」


興味のないふうにじじいの言葉に耳を傾けながら、あたしはぼんやりとそのタマムシズシを見つめていた。不思議な色だ。虫の羽で出来ているなんて、絶対に欲しいとは思わないけれどそんなあたしの横顔を眺めていたのか、じじいは寂しそうにぽつりと呟く。


「まるで、君のようだね」


残酷な遊びをしてるのはどっちなのか、あたしはじじいの言葉に耳を傾けながら、頷くことも否定することもせず、そっと目を閉じた。











ティファニーで愛を繋ぎ止める







20090205@原稿完成
御大層な題名の割に、ティファニーのテの字も出てきません。てか需要あるのかこの相手・・・。