優しい腕に抱かれながら、私はゆっくりと瞼を開いた。窓を打ち付けるやや強い風が少し耳障りだったけれど、一度覚醒した意識を再び眠らせるのは至難の業だ。こめかみに鈍痛を覚えて、寝返りをうった。昨夜の情事に塗れたシーツが不快で顔を半分だけ出してみる。喉から染み出る乾いた空気。ふと、自分以外の息遣いに気づいて私は伏せていた顔を上げる。そこには規則正しく呼吸を続けている男の顔がある。余程疲れが溜まっていたのだろう。泥の中に沈むように眠っている。負担をかけないようにそっと腕の中から出ると、床に転げ落ちていたシャツを拾い上げて寝室を抜け出し、窓枠へと腰を下ろす。窓枠は広く、人一人が腰を下ろすくらいに十分な広さを持っていた。夜の温度を受けて窓はひんやりとしていて寄りかかれば容赦なく体温を奪ったけれど火照った身体には心地よく、だから体勢を変えるには至らなかった。この冷たさが、今の私にこの過ぎた幸福と現実を知らしめてくれて、そうするにはちょうど良い温度だった。窓に身を預けながら、夜の街を眺めやっているけれど、都会と違って馬鹿みたいに派手なネオンや眠りを妨げるような灯りはどこにもない。ただ、街のはずれにある尖塔の窓から曖昧だけれどもどこか心にまっすぐに響く光が入り込んでくる。自分の生きざまを否定するつもりはないけれど、死んでから後天国に行けるほどきれいな魂を持っているわけじゃない。地獄に堕ちるほどに救われないことをしてきたわけでもないと思うのだけど。だからこの世界は、自分の汚れた魂を浄化するための煉獄なのだと思っていた。私はもどかしくも自分の血の気の薄い青白い指先を見つめるしかなかったけれど、ふとその手に血の通う優しいてのひらが重ねられる。気配なく近づいて、抱くように握り締める人を今の私は一人しか知らない。窓に映ったその人の姿を見つめながら、私はひっそりと囁いた。
「ディーノ」
「・・・ん?」
「ごめんなさい。起こしちゃった?」
「いや、嫌な夢を見たんだ・・・目を覚ましたら傍にいないから不安になってさ、戻んないのか?」
「うん、寝れないから・・・」
「側にいてくれるだけで良いんだ。安心するんだ。それじゃだめか?」
だめじゃない。そう言いたいのに喉がつかえて上手く言葉にならない。否、本当は何と言ったら彼が安堵してくれるのか、その言葉を探していた。彼は慈しむよりも優しく、私の肩へと手を滑らせて抱きしめてくれる。その腕は常に忙しなく拳銃や得物を握り、抱きしめる余裕なんてない。忙しさにかまけて構ってくれないというわけではないことはわかっている。わかっているつもりでも、頭の片隅ではその現状を不満に思っている自分もいて、ひどく不愉快になるのだ。構ってもらえないことについてじゃない、彼と一緒に過ごせることに何ら不満はないはずなのに、何に対しての不愉快であるのかが自分でもわからないところが、更なる不快感を呼ぶ。悪循環だ。
「・・・どうした? どこか痛かったか?」
「・・・えっ?」
俯いていた私の頬には自分でも気づかぬうちに視界がにじむほどに涙が溢れていた。頬を流れて彼の腕に雫の一部でも落ちたのだろうか。慌てて目元を拭い、心配するように顔を覗き込んでくるディーノの眼を見つめ返した。あまりにも真摯にこちらを見てくるものだから、先ほど考えていた事などいつの間にか吹き飛んでしまっていた。
「情緒不安定になってるのかも・・・大丈夫。なんでもないから」
「俺のほうこそ、ごめんな。いつも一緒にいてやれなくて」
真摯さの込められたディーノの声は、熱っぽく私の耳朶を叩く。彼は胸元に抱き込むように、窓枠に腰を下ろしていた私の身体を強引に引き寄せる。こういうとき、寂しいと言えない私の口をついて出たくだらない言い訳がましい言葉なんか切り捨てて、自分の思う通りに行動する彼の強引さに救われる。正面から抱きしめられたと気づいたのは、重ね合わせた首筋や、胸から暖かさが伝わってきてからのことで、私はこの過ぎた幸福に躊躇いながらもディーノの背に腕を回す。首筋に張りつく強い息遣いと、ただ低く。と私の名前を呼ぶ声が甘く耳朶を打つ。息も詰まるほどの抱擁の中で、苦しいはずなのに不快じゃない。むしろ互いの中に居場所を与えているような気さえして。泣きたくなるほどの幸福感の中で、私はただゆっくりと瞳を閉じた。いっそ、このまま息絶えたって構わない。
噎せ返るような愛の中で
(死してからより 生きているうちに抱きしめてほしい)
20081201@原稿完成