ベッドの上で一人きりになると決まって思い出すことがある。
― 、膝閉じなよ、みっともない。
いつだっただろうか、言い放たれた一言に、私の胸には一瞬苛立ちの焔が燻った。あの時は手にした雑誌を投げつけてやりたくなったけれど、やめた。流石にそこまで理性は削がれてはいない、私だってもう大人だ。ただ彼の何気ない言葉の端々が、私を無性に腹立たせる瞬間がある。行儀が悪いと言いたいのはわかるけれども、彼の素っ気無い態度が言外に「女らしくない」と言っているようで、喉もとに詰まったような感情が込み上げるのだ。彼はいつもそうだ。頭は悪くはないけれど定義づけてしまう。男だということや、ハーフだということ。自分を囲う全てのものを決まりきったものでくくりたがる。だから男であろうとする。私の事だって例外ではない。誰かを束縛したいのなら、私なんかと付き合わなければいい。あなたには浅知恵ばかり働く小利口な女がお似合いなのよとでも言ってやりたいけれど、これもやめておいた。けれども腹立たしい。なんだアイツ。足を組んだりする私をみっともないと叱るのだけれど、学もない男に叱られる所以なんてない。ああ、これは失言だった。別に私は学歴社会至上主義者でもなければ愛だけに生きる空想主義者でもない。現実に私は彼が今いる世界の為にしてきた努力には敬意を払っている。とにかく、私は一人きりで考え事をしたり、電車で本を読んでいるときでさえも、苛立ちのブラックホールに陥ることがある。今日、そんなブラックホールから意識を引き戻したのは薄暗がりの部屋に響く私のものではない足音だった。
「? もう寝たの?」
「ううん、寝てない・・・考えごとしてるの」
少し広いベッドの端に彼が腰を下ろしたのか、ほんの僅かにマットが沈む気配がする。そうして私の髪を梳く指先の感触。私のよりも大きな掌は男らしさを匂わせて私はそれが最近は酷くいらだたしい。
「私、もっと違うものに生まれたかったわ」
「なにそれ、また言ってるの?」
呆れたように、英士は笑う。さも下らない事のように彼は言うけれど、私にとっては非常に重要なことだ。世の中は理不尽だ。男女雇用機会均等法が設けられようとも、相手の意識に侮りが垣間見える瞬間もある。大学からの推薦で受けたインターンの会社だってそうだ。いつだって女には華を添える役割か、可愛さ程度しか求めていない。だったらそんなものお断りだ。私はそんなものを簡単に売りつけてなんかやらない。この男にだってそうだ。何故私を選んだのかは未だにわからないけれど・・・。
「女っていうだけで、上手くいかないことは数え切れないくらいあるもの」
「それは・・・」
英士が珍しく言い淀んで私の髪を梳くのをやめると、私は肌触りの良いシーツの上で身体を反転させて彼を見上げる。暗がりでその表情はよく見えないけれど、何か言いづらそうな顔をしているということには違いないだろう。そう彼だって同じような壁に突き当たった経験があるのだ。彼はハーフだという理由で苦しんだということを私は知っている。
「女にしかわかんないことよ・・・それも一部のね。だから気にしないで」
女が男に劣っているなんて決めた人間は誰一人いないだろう。けれど私は知っている。アダムのあばら骨から生まれた女は男によって苦しみ、男によって支配されるのだという。別に信仰しているわけではないもの。知識程度だ。別に私は男に生まれたかったわけでも、女に生まれたくなかったわけでもない。ただ、誰かに支配されるという感覚が気に食わないだけだ。セックスしているときだってそうだ。無遠慮に男たちが私に割って入ってくるにしたって一方的な支配欲を感じるだけ。女という殻は私の歩みを鈍らせる纏足のような存在だ。私はそれが不実だとは思わないけれど、正直辟易する。別にセックスの類が嫌いなわけじゃない。かといって好きだともいえないけれど、必要だとは思う。種の保存のため?
それとも積極的に愛し合うため? お互いの全てを曝け出して、それでも愛していると単に証明するため?
そのどれも正解であって正解ではないとおもう。思うだけなら自由なはずだ。ただ私にとってはっきりしている事は私を支配していいのは、今まで付き合った男たちでも英士でもなく、私でしかない。そんなのはただの我儘で子供じみた主張なのだとわかっていても、私にはそれが一番心地いい。ベッドの上に手をついて横たえていた身体をそっと身を起こすと、ベッドの淵に腰を下ろす彼の傍へと身を寄せる。シャワーに入っていたのかまだ乾ききらない彼の肌にそっと触れ、息が触れ合うほどの距離で切れ上がった眦を窺う。彼を知る近しい者だけがわかる、どこか行き詰まったような苦しそうな表情に彼らしくない雰囲気を悟る。
「だから、そんな顔しないでってば」
「させてるのは誰?」
「それは失礼」
微かな笑い声と共に唇がやわらかな音をたてる。、と熱に浮かされたように私の名前を呼ぶ声がたまらなく好きだ。すべてを受け入れることを許すように、私は微かに息をつくその喉を辿って肩に手を差し入れる。そんな私の思惑を知ってか知らずか、私の髪を梳いていた硬い指先が、太腿にそっと触れ、撫でるような優しい手つきで脚の脚線をうろつく。ふと、足首に手を止めて、私の脚をそっと伸ばすと、宝物でも扱うみたいに私の足の甲をそっとなぞる。その瞬間私は思う。女という纏足は、私をどうしようもなく苦しめて、同時にどうしようもなく幸せにするのだと。
蝶々の纏足
(おしえてほしい、こんなにも胸が痛む理由を)
原稿完成@20070718