飼い猫の空腹を訴える鳴き声で目を醒ました。
冷蔵庫を開けてキャットフードの巻を取り出し、猫に与えると私はミルクをパックから直接飲んだ。ひどく喉が渇いていた。体からだるさが抜け切れておらず、机の上に散乱するレポートの残骸をすばやく片付け、私はまたベッドに戻ることを心の底深く誓った。早く暖かいシーツにくるまって寝たい。冷えた床は裸足の足にひどく堪えた。経験上、耐え切れなくなるということはなさそうだけれど、できれば早く目を閉じたかった。ベッドに戻る前にキッチンのブラインドの隙間から外を見ると、外はかすかに雨が降っていてそこらじゅうに膜が張ったようにぼんやりと霞んでみえた。外の激しさは遮断され、窓に叩きつけられた雨粒は見えてもその音は一切届かない。私は冷え切ったガラスの窓に手を置く。雨粒の濃い雨の日と路面の凍結した冬の日は彼は決まって私のところへやってくる。まるで気まぐれな猫みたいに。そう言うと、彼は不機嫌そうな顔をしてから、それはお前の方だろうと拗ねたような口調で呟くのだ。彼は今、どうしているのだろうか。その疑問は時折胸にふと湧き上がるけれど、どうにかして掴みたい情報でもなければ、無関係なものとみなして適当に切り捨ててしまえる話でもなかった。同じ大学で時折授業が一緒になるだけの先輩後輩として周囲から見ればあまりに細い糸であろうと、私たちはあまりに密接に繋がっている。いや、いた。というべきだろう。私は今後の生活の為に峠を離れてしまって久しいのだから。もう一度ベッドに戻るべく、寝室の扉へと手を伸ばしかけたところで、玄関口で悠々としていた飼い猫が怯えたように足元を駆ける。その瞬間、私はこれから部屋に起きる出来事に気づいている。躊躇うように開かれた扉をくぐりぬけて、彼がくる。案の定、玄関はゆっくりと音を立てて開いた。
「・・・?」
薄暗がりの中でもわかるはっきりとした声に私は喉が詰まりそうになる。
「啓介、勝手に・・・」
出かかった言葉は一瞬のうちに喉の奥へと吸い込まれていった。何の躊躇もなく部屋の中に踏み込んできた啓介は私の肩を強く抱いた。いつものジーンズとシャツだったけれどシャツはかなり雨を吸っているみたいだった。普通じゃないと感じる事は容易だった。何か得たいの知れない空気を纏ったまま、そこにいるのだもの。
「どうか、した?」
「・・・べつに」
「そっか」
この薄暗い部屋の中で彼の表情を読み取る事は不可能に近いけれど
、きっと憮然とした声から察するにとんでもなく不機嫌に違いない。それは私の思いこみなのかもしれないけど―どちらかといえばそうであって欲しいと思っているけど―私は背伸びをしたままそっと頬に触れた。予想外にひんやりとした感触に背筋が寒くなるけれど、それだけじゃない。獲物を狙う獣みたいな鋭い視線がずっとこちらを伺っている。どうしたのだろう。こんなことは初めてだ。慣れない視線に少し
胸が痛んだ。
「怒ってる? もしかして、私が走るのをやめたことに?」
「べつに、怒ってなんかねぇけど・・・が決めたことだし」
「ごめんね」
小さく呟くと、更に強く引き寄せられる。
「だから、俺は怒ってなんかねえって」
ゆっくり腕を解かれ、お互い顔を見つめあう。そのままどちらともなく、キスをした。触れると、不思議と安心する。息を吸い込めば雨の匂いがして、キスの合間に自然と笑みがこぼれどちらともなく笑った。
「なんかもう、どうでもよくなった」そう言って笑う啓介の腕はやっぱり少し冷えていて、少し震えている唇で恥ずかしそうに告げるのだ。
「なんとなく、お前に会いたくなったんだよ」
悪いか。とやっぱりどこか不機嫌に見える彼はもしかしたら照れているのかもしれない。それでも遠まわしな台詞よりも真っ直ぐに胸に届くその言葉は彼自身の走りにも似て、私はいつでも胸を熱くさせられる。
彼は不器用だったので
( Oh baby, no other man can love you more... )
20080108@原稿完成