―どこにいるの? むくろ、骸。
「ここです、」
暗い闇の中にぼんやりと佇む不確かな影は、たしかに人の形をしていた。骸はかすかに身じろぎして、私のことを見たことがわかったけれど、彼の表情はまったくと云っていいほど読み取れなかったから、私はとても不安になった。あなたは私が見えているのだと思う。そう何に関しても。何においてもあなたばっかり、何かを視ているのだと思うと、私はとても辛くなる。まるであなたが、私の目元を塞ぎ拭い、きれいなものだけ見せてくれているような気さえして。
「、僕がみえていますか?」
―みえないわ、ここは暗くて・・・冷たくて・・・
「安心して、僕はここにいますよ」
ひどくやさしいこえ。私を呼び戻すように指先にそっと触れてかるく握ってくれる。私はそのしぐさが、とても嬉しくて握り返してしまう。あなたが力をこめさえすれば、私の指など簡単に折れてしまうのにね。とても簡単に。でも私は、そうなってもいいと思うときがある。
「あの花は見えますか? あの木々は?」
―・・・ごめんなさい。やっぱりみえないわ。
「あやまることはありません。ここはとても暗いのですから、そうとてもね」
―そうね。とても暗い。
握った指先はすこしだけ、ほんのすこしだけあたたかかったから、寒いのだと告げる必要はなかった。
骸もきっと、それをわかってくれたとおもう。
「おかしいと思いませんか、」
―・・・なにが?
「石や水や風は生きているわけではない。そこに存在しているだけです。現象です。なのに僕らやあの花たちは、変化したり、増えたり、死んだり、とても忙しない事をしている。それはとてもおかしいことだと、思いませんか?」
―骸は、むずかしいことを云うのね。考えているのね。私はそんなこと考えた事もなかったわ。
ただあの花弁は綺麗だとか、かたちがよいとか、そういうことばかり。ごめんなさい、つまらないでしょう。話しがいがなくって。
「いいえ、そんなことはありません。でもそうか、きみはあれらを綺麗だとか美しいだとか感じたりしているのですね・・・」
新しい何かを発見できた事を、喜んでいるみたいに骸は言う。どこか驚いたみたいに。不思議だとでもいいたげに。彼にとって、私は不思議なものなのかもしれない。でも、私が不思議だったら世界中のひとたちが不思議だということになってしまうわね。私の握り方が緩くなったとたんに、骸は手を離してしまった。どこからか吹く風と、暗闇に、私は身を竦ませた。
「こわいですか? 」
―たぶんね。
「暗がりが怖いのですか?」
―ちがうわ。
「では、独りが?」
―いいえ、そうじゃない。
「なら、僕が怖いのですか?」
―ぜんぜん、ちがうわ。
むくろ、あなたがこわいのじゃない。まして暗がりが怖いわけでも、独りになることが怖いわけでもないと思う。人は生まれてから誰も独りだから、怖がる必要はないと思うけど、ああ、ごめんなさい。やっぱり、今の私はひとりがとても怖いと思うわ。いいえ、ひとりがこわいのじゃない。あなたに置き去りにされてしまう事が、さみしいのだわ、きっと。こわいのじゃない。さみしいの。苦しいの。そう感じている事、わかってくれるかしら。いいえ、あなたはわからないかもね。
「」
暗がりでもはっきりとわかる、私を背から抱いて首元に顔を埋める人が。その息遣いが。首筋に触れるその真摯な吐息に、私はとても暖かい気分になる。
―骸・・・。
その先を、なんていえばいいのかな。私はあなたをひどく同情するわ。哀しいと思う。それと同時にうつくしいと思うし、残酷だと思うわ、けれどひどく恋しくて、愛おしいと感じているわ。あなたは私を抱いているけど、何の為に抱いているのかしら。知りたいと思うけど、知ってしまう事がとても―・・・。
「・・・」
―やっと・・・あなたがみえた。
「見えますか、僕が」
―ええ、みえるわ。やっとね。
目を凝らしてやっとわかる。骸の骨ばった手に触れて、私はあなたを抱き返したくてしようがない。その手をできるだけ優しくほどいて、向かい合うと、少し背伸びしてその頬にやわらかく触れる。左右で色の違う瞳が私をそっと捉えるから、私は彼を見つめ返す。ただそれだけのことなのに、何て素敵なんだろう。でも、あなたは何でそんなにかなしい眼をしているのかしら。そんなに美しい眼をもっているのに。私の手は無意識に尖った顎をなぞって、彼の首筋を辿る。どれだけ愛していると口にしても、それだけではあなたにはきっと伝わらない。この二つの乳房の間を裂いて、この心を引き渡せるのならばどんなにいいか。そう不安を感じれば感じるほど、私はいっそうあなたが恋しくなってしまうから。
ああ、お願い・・・だからそんな、うつくしいかおをしないで。
幸福の繭
(私こそが、あなたのその目を塞ぎぬぐい。綺麗なものだけ見せたいのに)
誰かに手を引かれて見る世界というのは、素敵なものが多いんですけどね。