夜の界隈はどこも密やかな賑わいを見せている。
勿論、店の中にいれば尚更その賑わいぶりがわかるというものだ。私の勤めるナイトクラブもいつものようにさざめくような笑い声が響いていた。 今日歌った歌を選曲するために先ほどまで机の上に出しっぱなしにしていた譜面を片付けながら、いつものように帰り支度をする。 月分の給料はお世辞にも良いとは言い難いけれど、ただのクラブシンガーにしては結構な値段を貰えていると思う。 いくら安月給でも、不満はなかった。働けるだけ―・・・いや、人としてのまともな生活が保障されているだけ幾分かまともな方だといえるだろう。 部屋に贈られたいくつもの花束を今日は家に持ち帰るべきか悩んでいるところに、控えめなノックの音が響く。 ドアを開けば、いつもはおおらかな笑みを浮かべている支配人がどこか不安そうな顔で私のことを覗きこんだ。



、お前に客なんだが・・・。通すかい?」


支配人の顔の向こう―・・・ほっそりとした人影が薄暗い廊下にちらりと見えた。 相変わらず、妙な髪型をしているけれど口元に浮かぶ笑みは昔見た事がある懐かしいものだった。 廊下の壁に背をもたれさせながら、手持ち無沙汰にポケットに手を突っ込んでいる姿はいつもの振る舞いよりも年相応に見えた。


「・・・通して」

「大丈夫なのか?」

「問題ないわ。彼はお友達よ」


私がにっこりと笑めば、支配人は納得した様子で頷きながら、今日の歌もとてもよかった。といつものように褒めちぎった。 人に素直に褒められて嬉しくないことはないだろう。少しいい気分になる私に、何かあったら助けを呼ぶように。と警戒を解さず投げかけて、彼はやっと背を向けた。 その影が廊下の端に消えるまで眺めながら、私は相変わらず廊下に立ちつくす男にやっと声をかけることができそうだ。


「入って」

「いつになったら声をかけてくれるものかと、」


気障ったらしく笑う彼―・・・六道骸は廊下の壁から背を離した。 そのままゆっくりと私の楽屋に入ってくると、どこに隠し持っていたのか小さな花束を私に差し出す。


「ささやかな贈り物です。君の熱心なファンには劣るでしょうが」

「家に持って帰れる手ごろな大きさよ、ありがとう」


素直に受け取ると、彼に席を勧め私も余った椅子に腰を下ろす。彼がここに来るのは多分初めてだった。 物珍しそうに視線を彷徨わせながら膝の上で指を組む彼は、ここで見るからか、いつもとは少し違って見えた。



「仕事場にまでわざわざ来て・・・どうしたの?」

、君の顔が見たくなったんですよ。いけませんか?」

「悪いなんて言わないけど、ただ・・・そうね。昔のことを思い出して具合が悪いの」

「そう・・・ですか」

「犬くんや千種くんたちは元気?」

「もちろん、元気ですよ」


突然に尋ねてくるのは何ら不思議な事じゃない。定期的に、彼は決まって顔を見に来るのだ。 それは場所を問うことなくいつでもあった。引っ越した先の家でもあれば、どこかのカフェでもあった。美術館だったことも。 私はそのたびに驚き呆れ、今ではもうあまり驚くことはなくなった。日常の一部となりつつあったのだ。 彼がそうして来る事は何故か赦されるような気がしていたからかもしれない。六道骸だから、という言葉は既に理由になるほど私の中に沁みこんでいた。 お客さんがプレゼントとして大量にくれたチョコレートを小出しにしながらテーブルにのせると、 にこにことしながら私が過去に見た光景と何一つ変わらない調子で骸がチョコレートを口に入れるのがわかった。
その様子に、空虚な壁や冷たい床たちが密かに、脳裏にフラッシュバックする。


「別に、会いたくないとかそういうわけじゃない。どんな形であれ生きていればそれでいいと思ってるし。できれば・・・うん、幸せになってくれていれば最高だけど」


会いたくないと思われているかと誤解されることが心苦しくて、私は弁明するように口にした。骸はどう考えているのか、知りたかったからかもしれない。 私は彼と話していると自分を見透かされているようで少し恐ろしくなるときがある。私の言葉に熱心に聞き入っている様子を見せながら、私が言葉を切ると、沈黙をつくらないように間を開けず、彼は言葉を繋ぎ取ってくれた。あの会話の間に沸き起こる言葉を失った時の沈黙が嫌いだということをきっと彼は覚えていてくれたのだ。


「生憎ですが、僕はそういった物たちからはほとほと縁遠いんです」

「また世界征服の話? 相変わらずだね」

「君は僕の話を馬鹿にしますけど、あと数年もすれば―・・・」

「私たちや、死んでいった子たちの事を考えて、それを言ってるなら、もうやめにした方がいいと思う。もちろん、やめにしたくないと思っているんでしょ? でもおぼえていて欲しいな、誰もそうなることを望んでなんかいないんだってこと。ただ笑って暮らせているならそれで十分なの。今も昔もね」


私たちが育った場所は、この世の何よりも酷い場所だった。皆子犬か何かのようにぽろぽろと生まれて、あまりに呆気なく死んでいく。 実験、実験、実験。繰り返されるそれらを止める方法なんてなかったし、何よりも私たちは根本的なところで無力だったのだ。 私は物心ついた時には既に骸と一緒の研究被験者だったのだ。ある意味神にも等しい、人ならざる力を授けられた私たちは人を殺すためだけにその力を使わされようとしていた。 結局のところ、私たちはあの恐ろしい場所から逃げ延び、生き残ったそれぞれが違う人間としての人生を歩み始めた。 私こそ、忘れようとはしていても、骸が訪れるたびに思い出す。まるで忘れるなと言いたげに彼はやってくるのだから。 私の心を見透かすように、骸は小さく笑みを洩らす。


「ではなぜ、君は今もこうして“こちら側”に残っているんです?」

「結局同じなのよ、あなたも私も、一度浸かってしまったものからは簡単には抜け出せない。あなたはあれほど嫌っていたマフィアになってしまった。私ももう、元には戻れない・・・そうでしょ?」

「それは違う」

「そうね、間違ってた。マフィアの幹部とナイトクラブのシンガーをいっしょくたにしちゃいけなかったわね」


日本語でいうところの、売り言葉に買い言葉、みたいに。 骸に対しての怒りではないのに、私の口からはするすると八つ当たりにも等しい言葉が飛び出していく。一言余計な私に 彼は何も言わなかった。何も言わずにただ黙っているのに、私の声にどこか傷ついたように眉を寄せるのが癇に障った。 彼を傷つけている。そう自覚することにきまりの悪さを感じていた。


「私はもう別の人間として生きているの、骸にこうして会えるのは嬉しいことだけど、昔話はもうたくさん! 忘れたいのよ、忘れたっていいでしょ? 抱えて生きていくのは私には辛いの」

「わかってます」

「わかってない!」


駄々をこねるように首を振る私の腕を優しく引き寄せて、骸は腕を閉じる。 放す気がないのか。それとも私がこれ以上話すことを迷惑だと思っているのか。私のことを・・・私が思った以上にがっちりと抱きしめたまま離さずに、彼は凍りついたように動かなかった。 私が興奮して吐き捨てた言葉の後に荒く息を吐く音だけが、私の衣装部屋に木霊する。


「君が辛い思いをしていたのは知っています。それでも、僕は・・・君に僕を忘れて欲しくないんです」

「・・・」

「どういう意味だか、わかりますか?」

「骸は昔から遠まわしだよ」


私は骸の腕を振り切る事はしなかった。けれども彼の胸を優しく押して、後ろに廻された腕を文字通りすり抜ける事はとても容易かった。 あらゆるものと同調し、あらゆるものを自在に通り抜ける。物質透過能力。それが私に与えられた力だったのだから。


「好きですよ。・・・君はいつも、肝心なときにそうやってすり抜けてしまいますがね」












Cyberbird

( 私たちは所詮、偽りの神に形づくられた獣にすぎない )







20071013@原稿完成
Antichrist Superstar のプロトタイプみたいな感じです。