時計が高らかに二鍾の鐘を鳴らす。
低く廊下に響くその音にそういえば、邸に至るまでの外の景色は既に眠りに落ちたように暗く、ガス灯が街の中に灯っていたことを思い出す。 月明かりの差し込む窓枠に腰を下ろしながら、僕は彼女がベッドの上に腰を下ろしゆっくりと煙草に火を点すのを見つめる。 膝を抱えながら、指先からライターを滑らせるとそれは鮮やかな弧を描いて机の上に滑り落ちた。 煙を避けるようにして煙草を挟んだ指先を顔から逸らし掲げる彼女に、僕は花束を捧げるようにして語りかける。


「また酷いやり方でいたぶったそうですね。獄中で発狂したっていうじゃありませんか」

「そう? 殺すよりマシじゃない?」

「さぁ、どちらが哀れなのか・・・僕には解りかねますが、」


永遠の死と終わらない狂気どちらも残酷であることに変わりはない。そう言いかけようとした唇は寸でのところで言葉を飲み込んだ。 それが彼女なりの優しさなのだとしたらそれはあまりにも人としての感覚を離れている。


「解らないなんて当然じゃない。私たちはひとでなしなんだもの」


まるで僕の心を見透かしたように言っては笑う。血に濡れて、残酷で、鮮やかなまでに美しい娘。 云う通り、僕らは人でなしだ。僕は別にそれを否定するつもりはない。この世に生まれ落ちた時から、こうなることを運命づけられた存在だ。 彼女と僕とは同じような稀有な能力の持ち主で、逃避できない運命の中に敷き詰められた現実の中で生き続けるうちにこうして廻り合うのは何度目かになる仲だ。 そしていつでも、僕はどの時代でも彼女を探している。廻り続ける生の中で、いつ僕らがこの世界という檻の中から抜け出せるのか確かめたいからかもしれない。 そう、彼女こそが僕の正気を証明するただ一人の生き証人だというのに、今回の彼女はマフィアに加担してまるで僕が狂気だという幻想すら抱かせる。 彼女はボンゴレ十代目の命に忠実に従い、命はなくとも表立っては殺せない者たちを何人も屠ってきた。 内部から外部、どんな立場の者も、権力の保持者でさえも、花を手折るようにあっさりと手を下す。 それこそが本来の彼女なのか、それとも単に僕が総てを勘違いしていたのか。惑乱するほどに彼女は容易く指先をすり抜けて消える。


「今回の君は、どこかおかしい・・・」

「そうかもしれないわ、でも本当の私をあなたがただ知らないだけかもしれない。そう思わない?」

「・・・」


から発せられた言葉はまさに的を射ていたが、僕はその言葉に頷くことができないでいる。 僕は自分が狂気だと証明されることを忌避してきた。正気の証明が崩れれば、この幾度目かの生を否定されることになる。 くだらないことだが僕には彼女が生き続けた証だ。だが、この感情は愛し合うには長すぎて、恋しいと感じるには近すぎる。


「ねぇどうして、あなたはそんなくだらないことに拘るの? この世界はすべて虚飾に過ぎないのに、所詮は檻の中だわ」

「偽りであるからこそ、僕は真実だという証が欲しいんです」


涙を啜りあげるかのように、切なく笑いながらはまた灰皿に煙草を落とす。 灰皿を脇に押しのけながら彼女は僕をただ見つめる。そこには憐れみも嘲笑も、何も必要としないただ静謐とした感情だけがあった。 足を踏み外して階段を転げ落ちるように彼女はベッドから降りると床に膝をつきながら僕を見上げる。


「たとえばどんな?」


僕はその声にの身体を足先で撫でるように転がしうつ伏せにすると小さく啼いた彼女の身体を跨ぎ、その首筋に屈んで乱暴に唇を押しあてる。 しっとりとした髪が床に広がり、それはまるで標本にされた蝶のようだ。冷たい床の上で、彼女はそれすら楽しむように瞳を閉じる。 それが合図だったのか、針が滑り落ちたようにその身体を塞ぐように縫い留め、開いた背中の柔らかな感触を楽しむように手袋越しに指を滑らせる。まるでありもしない翅の跡をなぞるようにして。


「永遠に変わることのないもの」

「たとえば?」

「君だと言ったら?」


堰を切ったようにして、彼女は細く笑いだす。おかしそうに背筋を震わせて、小さく吐息を零す。 僕の手が緩んだのに気づいたのか、は身を捩って仰向けに寝転がると檻の中から手を伸ばすようにして、そっと僕の首筋に指先を滑らせる。 互いの吐息すら触れ合う距離の中で、悪戯っぽく目を細めながら彼女は恋人に囁くように甘く問いかける。


「私の、どこがいいの?」

「君の魂、そのものが」

「あげてもいいわ、でもそれじゃああなたばっかりが得をしてる気がする」


それじゃあ だめね、と呟きながら、は名案があるのか僕の名前を楽しげに唇に乗せ口ずさむ。 相変わらず、涙を流すような切ない笑い声を零しながら、僕に笑いかけるのだ。


「ねぇ、骸」

「なんです?」


耳元でゆっくりと注ぎこまれる言葉に、僕の胸の裡はゆっくりと濁った感情で覆われていく。 君に抱く感情が、幾年も経つうちに混濁し、最初に出会った頃のあの甘く優しい感情などとうにどこかに置いてきてしまったかのようにその証を探し続ける。 そしてその証は、彼女が持っていさえすれば僕は永遠に見失うことがなく、彼女も忘れるまで思い出すことができる。 溢れ出てしまう感情のままに、いずれ訪れるであろう終焉を夢見ながら僕は彼女に口づける。


― 永遠に消えない傷跡をつけて















檻の中の遊戯

 ( 愛しい人を永久にわたり 殺め続ける物語 )











20090517@原稿完成
Sound Horizon「檻の中の遊戯」に寄せて。