大都会の大きな交差点の傍ら、葉を落とし始めた銀杏の木に並ぶように立ちながら、私は目の前に行き交う人の波をぼんやりと見ている。車の列は波がおさまるのを待つように煌々と明るい光を放って・・・それがまるで夜の更けた街を眠らせないように照らしているようだ。北風が強く、頬は寒さを訴えるようにひんやりとしているのが触れ合わせた手のひらから伝わっていく。行き場を思いだせず、ただぼんやりと佇む私の意識を呼び覚ましたのはコートのポケットに眠る携帯電話の着信だった。


『・・・久しぶりだね』


懐かしい声だった。もう二年近く聞いていない。聞きたくて聞きたくて、気が狂いそうになった事もある。でも、約束は約束だった。会わない、連絡もしない。これで最後にしよう・・・そう言いながら、あの晩、華やかな街中に埋もれたバーの片隅で最後のドライ・マティーニを飲んだ。私には似合わなかったけれど彼にはよく似合っていた。飲み終えてから二人揃ってバーを出て、降りしきる雨の中傘を差しながら駅に近い小暗い舗道で最後の寂しいキスをした。まるで昔の恋愛映画みたいだけど、私は失う前と何ら変わらない情感をもっていたのに私たちは別れることを選んだ。彼―・・・綱吉は、イタリアに私を連れて行けないと云った。突然の宣告だった。まるで夢のような話だけれど、彼はイタリアのマフィアを継ぐためにこの街を離れるのだという。そう告げた彼に私は何と応えるべきなのかわからなかった。そこは「私も連れてって、一緒にいたいの」だとか多少は可愛らしい事を云うべきだったのかもしれない。でも私はそれができなかった。追いすがるように泣くこと、食い下がる事、がむしゃらにする恋愛なんてあの頃も今も興味がない。かといって、ものわかりのいい恋人でいることは不快だ。私は凄く矛盾している。そうして綱吉はイタリアに渡る事を決意し、私は以前と変わりなく、この街で・・・否、この国で暮らし続ける事に決めた。でも私が暮らすこの街は生まれ育った街じゃない。きっと、並盛に居続ければ私は彼を忘れる事が出来なくなる。そんなことは辛すぎるし、そう思えばきっと私は約束を反故にしてしまう。そんな格好悪いことはしたくなかった。だから以来、私たち・・・ちがう、私は約束を守った。そのはずだった。けれど、無意識に揺らぐ胸の鼓動を悟られないように私は唇を動かした。


「そうだね」

『仕事中だった?』

「ううん、さっき終わったところ」

『相変わらず、遅くまで大変だ』

「そろそろ年末だから・・・忙しくて」

『・・・、今どこ?』

「交差点」

『どこの?』


その言葉に喉が詰まったように動かない。あえていうなら、あの選択は妥協だったのかもしれない。
二十歳を過ぎたばかりで譲歩を覚えすぎていた彼と私はお互いにお互いの立場を尊重することを選びとった。それは尊い選択で自分の我を押し通すよりも何よりも重要な格好なのだと私は思っていた。少なくとも・・・私は。


「もしかして・・・酔ってるの?」

『酔ってないよ』

「嘘だ。絶対酔ってる・・・でなきゃ私に連絡なんて寄越さないでしょ、約束・・・忘れちゃったの?」

『破ってごめん』



少年の頃ように謝る彼はいつも心根が真っ直ぐだった。思わず笑みを洩らすと、彼が電話越しに笑い返す。その笑い声に、微かに響くジャズの音色が絡み合う。ジャズを聞きながら飲んでるのか。きっと静かな場所なんだろう。まず酒場という雰囲気ではない。けれども不思議だ。彼に静かな場所なんて似合わないのに、彼にはもっと・・・賑やかで明るい場所こそが似合うと思うのだ。


『これからどこに行くの?』


彼―綱吉が訊く。理由もなく帰る気がしなくて、あの彼と別れた懐かしいバーに寄って行こうと考えていた。またあの時のようにマティーニを注文して、今や過ぎ去った彼との思い出を一つ一つ振り返ってみようと愚かな事を考えていた矢先の出来事だった。この考えを悟られないように、私は嘘を吐く。


「もうこんな時間だから・・・帰るところ」

『そう、』


無関心を決め込んだような感情の読み取れない声に私はあの頃と違う彼を感じる。私の知らない間にあなたには何があったの。そう訊きたくても訊く権利なんて持っていない。


『そう、じゃあ気をつけて』


動揺を押し隠すように肺を満たすように冷たい空気を大きく吸い込む。泣きそうになっているのを誰にも悟られないように。きっと、目が潤んでるのは誤魔化せない。どうしてこうもタイミングの悪い時に電話をかけてくるのだろうか。たったこれだけの会話を交わすために、わざわざ? そもそも海を越えて時差すらあるイタリアから?こっちが深夜だと知っていて、約束を破って携帯電話を鳴らしたとでもいうのだろうか。私は綱吉に訊きたかったけれどそのどの言葉も口をついて出る事はなかった。


「・・・・もう、約束を破らないで」


喉の奥からしぼり出したような声はかすかに震えている。きっと、寒さのためだ。


『うん。わかってる』

「そうしてね」

『ほんと、ごめん』

「じゃあ、これで切るから」

『駅に着いたの? それともタクシーを拾うとこ?』


答えるつもりはなかった。通りの奥に入ると、懐かしいバーの黒い扉が見えてきた。小ぢんまりとしたビルの一階。ほの暗い明りが灯されている。大人の遊び方を覚えはじめて、彼と初めて来たのがここだった。


『もしもし? 聞いてる?』

「聞いてるよ」

『俺、別に酔ってないよ』


バーのどっしりとした黒い扉を睨みながら私は「さよなら」と低い声で呟いた。鼻の奥がつんとした。


「前にもそう言ったはずじゃなかった?」

『言ったけど』


綱吉は少年の頃のように言いよどむ。彼のこんな所も私はとても好きだったのだ。


『言ったけど・・・でも、』


扉に近づく。はっきりとおぼえている。二年前、私の心の中をひたすら埋め尽くしていた存在がもう一度渦をまく。でももうどうしようもない事を知っていた。


とよく来たバーにいるんだ。昔の事、思いだしてた・・・うん。ごめん、悪かったよ。じゃあこれで』


待って。いいかけた先で電話は切れた。イタリアにいるんじゃなかったの。いつ帰って来たの。聞きたい事は山ほどあった。でもどうしたらいいのだろう。目の前には重厚な扉。まるで私と彼を阻む障害みたいに。私はただこの扉を押せばいい。でも、それだけで本当に全部が上手くいくの? そうじゃない。どうしたらいいのかまるでわからない。ちっぽけな理性が邪魔をする。足はすくんだみたいに動かない。風が足元で渦を巻いて、苦しげに息を吸い込むような音と絡み合って闇の彼方に吸い込まれていく。あの頃の不満を思いだしかけて、瞼を下ろして唇を咬んだ。押さえつけていた何かが身体の奥にほとばしる。こらえていた何か・・・。



「ばか」


私は扉の取っ手を勢いよく引いた。














Lover's again

( でも今は情熱が目を醒ます 予感がしてる )












20071116@原稿完成
タイトル通り、某アーティストのバラード。曲のイメージに引っ張られてしまった。