粘るような漆黒に、神さまが降りてきたのではないかと錯覚した。
一瞬にしてすべてを灼きつくしてしまうのではないかという雷鳴が屋敷の外に鳴り響いている。夜を裂くような発光と低く鳴り響く音が幾度となく繰り返されるのをぼんやりと感じながら、わたしはただ成す術もなく窓の外を眺めやっていた。静かな夜とは言いがたいけれど、天地の闘争の姿を見ているようで、わたしはひどく愉快だった。おそらく彼・・・アーカードもそう感じているのだろう。自分の最後の領土だと言い張るあの不思議な棺に入りもせずに、インテグラがわたしのためにあつらえてくれたベッドの上でわたしを背から抱いているんだから。


「佳い夜だとは云い難いが、実に愉快な夜だとは思わないか。

「うん。素敵な夜だと思うわ」


死人のように冷たい頬がわたしの首筋に当たる。あ、また雷の音がした。彼が今、どんな顔をしているのか見えないわたしには、彼が一体何を考えているのかがわからない。彼の飼い主―もといご主人様であるインテグラだって、周囲には見せずとも懸命に彼の考えている事を推し量ろうとしているんだから、彼と関わって日の浅いわたしなんかはこの、常に何を考えているのかわからない男の考えを目さえ見ないで見抜くなんて、到底できない芸当だ。そういえば、この人―っていうか吸血鬼?―の心臓って、きちんと機能しているのかな、だとか。棺で寝てるっていうけど、この人―っていうか吸血鬼?−は夢を見たりするんだろうか、だとか。本当に血液を吸うだけで生きていけるのかな、だとか。そんなくだらないことばかりが彼を見るたびに堂々巡りだ。わたしのにおいをそれこそ体のすみずみまで嗅ぐような仕草と首筋で聞こえる息遣いに、わたしは思わず笑みをこぼしてしまう。だって、本当に犬のようなんだもの。


「何がおかしい?」


どこか憮然とした声が耳元でするから、わたしは思わず肩を震わせてしまう。まるでおっかなびっくりしてるみたいで心地悪かった。というか、実際おっかなびっくりすることばっかりだけど・・・。まぁ正直に言うとばつがわるい。


「なんでもない」


正直に、あなたが犬に見えちゃったの、なんて口にしたらそれこそ弾みで首筋をやられかねない。というか、弾みどころか彼の場合は本気でやりそう。いくらわたしだって、グールにはなりたくないし、いや、でもわたしは処女だから吸血鬼になっちゃうのかな。いやいや、だからって、まだ昼の世界と離れたくはないわね。


「ふん、まぁいい・・・それにしても、この私が首筋に触れても怖がらないとは、たいしたお嬢さんだ」

「怖いよ。でも、アーカードは無闇に咬まない。わたしはそう思ってる」

「なんとまぁ、随分と信用されているものだな」


くくく、と声を漏らして本当に愉しそうに笑うから、わたしも思わずにっこりとしてしまう。さっきから雷の音は消え―いや、消えてはいないのかもしれないけれど、どこか耳遠くなった気がする。いつの間にか窓を叩く水音とアーカードの愉しそうな笑い声だけが尾を引いたように耳に残っていく。これは心からの笑い声なんだろうな、と不思議な確信があった。そう、そして・・・


「アーカードは人間が好きだから、無闇に人間を傷つけるような真似はしないでしょ」


わたしはわたしを大切に抱いてくれる冷たい腕に触れながら、そっと後ろの吸血鬼を顧みた。すると、彼の驚いたような、安堵したような、歓喜したような、それでいて不安定な視線とかちあうのがわかった。そのどれとも違う、いいえ、どれにでも見える表情で、わたしのことをいっそう強く抱くから、わたしはそっと体温の伴わない彼の身体に身を任せる。切れ上がった眦がどこか乞うように細められるのを薄暗い部屋の中で観察するようにじっと眺めながら、彼の唇が音を刻むのを待つ。ふと、好奇心に吸い寄せられるように彼の唇が、わたしのそれに触れる。慈しむように、いとおしむように、そっとそっと口づけてくれる。触れるだけのキス。そしてそのたったの一瞬のあとに、倫敦の霧のような暗闇の淵に濡れた声が、耳朶を打つ。


、今夜は素敵な夜だな」







in The Dark

( 囚えているのか、囚われているのか。あなたに わたしに それとも 誰に? )





紫ってどこか卑猥な色。(ぇ)