死を招く殺伐とした音を連想して、は小さく肩をふるわせた。たった今この瞬間の手のひらに、ずしりと重い拳銃は、持ち主の過ごした命の彼岸を思わせて、それこそ愛しく感じるのだった。この世のあらゆる闘争の中に踏み込んでいき、死を以って相手を静める悪魔のような男の武器だ。そして手のひらのしっとりと絡むのは死人のように冷たい指先。肩に触れるのは彼の長い黒髪だ。日に当たる事の少ない指が私の人差し指をそっと銃爪にかけさせる。まだ安全装置は外れていない。だから、弾が出る事など無いとわかっているのに、は酷く緊張していた。太陽の光すら届かないこの部屋の中で、渇いた死の匂いがする棺桶にアーカードとふたりで寄りかかったまま、心には緊張の糸を張る。は別にアーカードに血を吸われるだとか襲われるだとか、そういう類のことを危惧しているわけではないのだ。どこか、心の隅で息づいている不思議な意識がそうさせている。彼の寝床であり、最後の領地だというこの棺桶の傍だからなおさらだった。アーカードは列記とした吸血鬼であっても、はただの人間だ。多少は特殊な能力を得ていたとしたところで、ちっぽけな命を持った。ただの人間なのだ。考えている事だって、人間同士での意思疎通の中ではおおよそ難しいことではない。そう、人間の意思疎通の中では、だ。


「この銃一発撃つのにも、あたしにはきっとひと苦労だわ」

「そうだろうな。、お前の根幹はただの人間なのだからな。私とはまったく違うだろうよ」

「そうね。あたしはただの人間だと思うわ、どうしようもなく無力で、何事にも足掻かずにはいられない、ただの人間。あなたとは違うわね」

「ああ、そうとも。私とは違う。お前の白く細い手足も、爪や髪すらも、血の一滴までも凡てが違うな」

「そりゃそうよ。あなたは男で私は女。それだけでも随分と違うじゃない」


それでもは努力をやめない。考えている事に懸命に整理を施して、アーカードと会話をするのだ。そんな彼女の努力を知ってか知らずか。アーカードはふと気まぐれに、の手を撫でて、いつもよりもどこか夢見るような口調で呟く。


「不思議なことだ。力を込めればすぐにでも折れてしまうこの腕を、なぜ私が折ろうとしないのか」

「実は殺したくてたまらないってこと?」

「いいや、違うな」

「じゃあ、血が吸いたいの?」

「そうでもない。仮にそうであったとしても、私は無差別に血を吸うことを私の主から赦されてはいない。吸血には自由が在る。だがそれは生命のやりとりだ。その一滴を私に差し出すと云うことは、一種の契約だ。わかるか?」

「難しいわ」


はゆっくりと首を振った。吸血鬼であるアーカードの持つ複雑な事情はあまりに複雑すぎて、彼女には理解しがたかった。だが、それでも良いのだとばかりにアーカードは満足そうな笑みを携えている。そんなことは百も承知だと言われているようで、はどこか哀しいような、苛立たしいような気に囚われているのがわかった。見透かされているようで落ち着かないといった方が正しいのかもしれない。の首筋に顔をうずめながら、アーカードは低く呻く。


「つまりは、だ。私はむやみやたらに血を吸ったりはしない。確かに血を吸うことは生を永らえさせるかもしれない。けれども私は漠然とそれを望んでいるわけじゃあないのだよ。。私は闘争の中に、闘争の果てに存在する世界を欲しているのだ」

「そんな場所があるの?」

「そうとも。あるとも。闘争の中にこそ息づいている世界。それは呆れ返るような戦いの果てに下りてくるのだとも。燃え尽きるか、死に絶えるか。その瞬間を待ち望んでいるのだ。私は」

「要するに、死にたいって事なの? それってすごく馬鹿げていると思うわ」

「はっきりと物を言うお嬢さんだな。私だとてわかっているとも。これが馬鹿げた願望であることなど、とうにな。100年前にその夢の狭は終わったのだと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。私は夢を見続けているのだ。だから次にこの夢を終わらせてくれるものが必要なのだ」

「で、それがあたしの腕を折ろうとしない理由に繋がっていくっていうの?」

「そうだとも、。賢い人間のお嬢さん、お前にならばわかるはずだ」


耳元で囁くその声は遅効性の毒のように心を侵食していく。鼻先を掠めるアーカードの匂いはまるで殺戮を好む獣の匂いだ。だがこの男は何を望んでいるのか。彼の愛銃であるカスールを握り締める手に力を込めると、その気配を察したアーカードがの握る銃口を自らの胸に無理やりに押し当てにやりと笑む。


「いつかは、。お前のその手で与えてくれ」









白亜の銃で撃ち抜きたまえ
 

            ( その腕の中で息絶えたいと、嘆くのなら )













20070422 原稿完成@REAN