注意 ! >>椎名翼の[Little
Miss Sunshine]の後日談というか続編のような話ですが、支離滅裂なのでそれでもよろしければどうぞ!
What are little girls made of?
What are little girls made of?
Sugar and spice
And all that's nice,
That's what little girls arc made of.
玲は考えた。
私は何で出来ているというのだろう。答えは言わずもがな。サッカーである。では私の身体から、サッカーへの情熱を剥ぎ取ったとしたら一体何が残るのだろう。骨と皮ばかりの貧しい肉体を持て余したまま生き続けるのだろうか。否、そうなったらもはや、どこかに身を投げて死ぬしかないだろう。私にとってのサッカーとは生きていることと同義だった。限界まで走って風を切る。ネットを揺らすボール。結婚を目前にしてこうして実家に帰ってきたばかりだと云うのに、私ったらそんなことばかり考えて過ごしている。監督として、次の対戦表のオーダーを考えながら、リビングのソファの上でペンを動かしていると目の前に温かそうな紅茶が差し出される。家の手伝いをしてくれている人たちはもうすでに引き払っている時刻だから、こんなことをしてくれる相手は二人しかいない。
綺麗にアートの施された爪を見れば誰だかすぐにわかる。
「ありがとう、」
「どういたしまして」
顔を上げて微笑みを向ければ、もつられたように笑う。そういえば、彼女がこんな早い時間に家にいるのは珍しい。私は思わず壁に掛けられた黒檀の時計を見比べながら問いかけた。
「、遊びに行かなくていいの?」
「夜遊びにもそろそろ飽きたの。いいでしょう? 家にいたって」
「別に悪いなんて言ってないわ。でも珍しいじゃない」
「そう?」
はおかしそうに唇を引き上げた。何かを味わうような笑い方だ。
私とは違い、はサッカー関係の仕事に就いてはいない。ゆえに、公の中でその存在を知る者はほとんどいなく共有する話題の数も少ないが、なぜか会話には事欠かない。血がなせるわざだろうか。は、雑誌を片手に隣に腰を下ろして、テーブルの上を眺めて眉根を寄せた。
「大変そうだね」
「あら、楽しいわよ?」
「デートの前日に仕事なんて、私だったら考えられない」
辟易した様子で、は緩やかに首を振った。手入れの行き届いた茶色の巻き髪が柔らかな波を立てる。男が欲しがる女というのは、多分こんな姿をしているのだろう。私はのことを時々羨ましく思う。
「デートじゃないわよ。もとはといえばお見合いの延長・・・本当、私はいやだって言ってるのに」
「は? 姉さん彼がいるじゃない。なんで?」
信じがたいといった風では目を輝かせる。嫌悪感を露わにしないのはなぜなのか。姉である私はよく知っている。
この子は、男と女が必ずしも一対一の関係だと考えないところがある。それはインモラルな関係を取り除いた人間の根本的なところの次元でだ。以前聞いた話の中では、例えば留学先で出会った男の話がある。男は実はゲイピープルでけれども女しか抱くことができないから、愛する者を抱くことができない彼のために、は男と関係を持ったというのだ。女というのはもっと複雑でセンシティヴな生き物だと思う私はのそういうところがわからない。この話に、勿論私は嫌悪感を露わにした。不実だとぶつけてしまう。こう見えてロマンチストの私にはにこやかな表情を崩さない。そんなの顔を見て私は何も言えなくなってしまうのだ。その唇は余計なことを何も語らず、ただ瞳はその男への愛を雄弁に語っていた。そしてはどこか寂しそうに笑っていた。男の都合に合わせているだけだと暗に告げていたような気がする。女の体温は愛する男にしか溶けないことを良く知っているとでも言いたげに。そういえば彼女はその時の出来事を慈善活動だと評していたっけ。だが残念なことに、私の陥った状況というのはのことを満足させられるほど刺激に満ちたものではない。
「お見合いで知り合って断ったんだけど・・・いい友達でいたいって言われたのよ。母さんの知り合いじゃなかったらとっくに断ってるわ」
「姉さんは私と違って優しいから・・・」
「そんなことないわよ。ただ、未来の旦那様を家族に紹介してからちょっと油断してたの。結婚式に呼んだら何事だって言ってきてね・・・しかも意外としつこくて。私が結婚するんだから関係ないのによ?
まったく、こんなに困るとは思ってなかったわ」
「へぇ、じゃあついていってあげましょうか?」
悪戯っ子のような笑みを浮かべては私に呈してくる。父をはじめ、私もに甘い。例えば私が明日の約束にを連れて行って、そこで“ちょっと”粗相を起こしても容易に許してしまえるくらいに。私が家を出て椎名家に居候していた間の父のへの溺愛ぶりは母から聞き及んではいる限りでは相当なものだったとか。もで、当時は年ごろの娘らしく父親が嫌いだと云うのかと思えばその盲目的な溺愛ぶりを上手く利用していたらしい。それは今もらしいのだけれど。前世はきっとポンパドール夫人もびっくりの策士に違いない。この子は器用だ。良く言えば賢くて機転が利き、おまけに甘え方の使いどころをよくわかっている。悪く言うと悪知恵が働くってところかしら。けれど、媚びるような甘ったるいものではない。はっとするほどに自然なのだ。匙加減がよくわかっているというのだろうか。私はどちらかといえばその逆で、甘えることと媚を売ることの境目がよくわからず残念なことに女の子としての特権を殆ど行使したことが殆どないのだ。
「そうね、だったら嬉しいけど・・・」
苦笑を滲ませれば、は心配そうな表情で押し黙った。考え込んだような沈黙の後で、雑誌を無造作に弄りながら尋ねてくる。
「その人、どういう人なの?」
「お金が使える場所でしか生きていけないような男」
「それは気に食わない」
「でしょう?」
「姉さんには似合わないわね」
は低く笑った。その歯に衣着せぬ物言いは、はとこの翼とそっくりだ。これはもう西園寺、椎名を含めての血筋なのかもしれない。けれど肝心なところでNOが出てこない私もどうしたものか。溜息とともに本音交じりの愚痴がこぼれた。
「本当、できることならどうにかしてもらいたいくらいよ」
私の言葉に、は雑誌をぴったりと閉じる。
「うん、そうね。ちょっと歓迎してあげることはできると思うわ」
「何、本当に一緒に来る気なの?」
「えー!? いいでしょう? だって面白そうじゃない」
「車出してくれるならいいわよ?」
私も、自由を愛する不良娘に弱いのだ。結婚したら、この愛すべき妹とそう頻繁には顔を合わせることができないのだと思うと、つい許してしまうのだった。
***
「で、なんで翼までいるの?」
翌日西園寺家を出発した車の後部座席にはとこの姿を見つけ、は驚いたように呟いた。日本に帰っている間にプライベートで会うことも殆どないからと私が連絡しておいたのだ。今度の代表合宿に彼も呼ばれているわけだからこうして帰国しているのだけれど、大きめのサングラスで顔の一部を覆った翼はこれからドライブにでも行く調子で楽しげだ。
「が何かしでかさないように、言いつけられたんだよ」
得意な様子だがどう見てものお目付け役というよりは翼こそが何かをしでかす火付け役だろう。運転席のは助手席の私を振り返りながらいいのかと目で語る。思わず笑みがこぼれた。
「私が呼んだのよ」
「なぁんだ。早く言って」
安心しきったようなの口調に思わず笑みを浮かべていると、すかさず後部座席から翼が問いかけてくる。
「なぁ、俺これから何があるか全く聞いてないんだけど・・・」
「姉さんのお友達に会いに行くのよ」
「まぁ・・・正確には、断り切れなかった縁談の相手ね」
「うん、そういうこと」
何があるのかわからないといった表情の翼はただ眉根を寄せるだけでそれ以上追及することはなかった。賢明な判断だろう。
だが賢い彼はこれから起きることの中で上手く立ち回ってくれるに違いない。
待ち合わせ場所のホテルまで、行く時刻には夏の暑い太陽が照りつけている。私は慣れたものだけれど、はどうなのだろうか。
父に買ってもらったというメルセデス・ベンツのフラグシップモデルを運転している横顔は涼しげだ。
傍らでどのタイミングでお断りの言葉を言うべきか考え抜いたところで、車はあっという間に赤坂につく。
幼いころ、父に連れてこられた記憶は微かにあるが利用するのはレストランばかりで、屋外のプールまで兼ね備えていることは初めて知った。
エントランスに乗りつけるとすぐさまホテルマンがドアを開けてくれる。助手席の私はすぐさま降りてエントランスを抜ける。
先ほどまで傍らにいたを振り返ると彼女は慣れた手つきでホテルマンに車のキーを差し出している。
フラグシップモデルになんか乗ってる女がどんな奴だか見てやろうとでも思っていたのかはわからないけれど、値踏みするような視線がにかかったのは一瞬でわかる。
翼がその気配を感じ取ってか、唇を曲げるのがわかった。おや、と思う。あの子はが苦手なのではなかったのか。
ところが、そんなことはまるで愚にもつかないとでもいうように、彼女は肩にアルバイト代を貯めて買ったという小さなチェーンバックをぶら下げ
ながら駐車場へと片付けられる車に背を向けた。
そして右手を翼に差し出して、彼の方が待ち望んでいたように手を繋ぐ。当たり前のように繰り出されるその光景は恋人同士のそれで、ほんの数年まで仲が悪かったなんて言われても到底信じがたいだろう。
そういえば二人は、一緒にスペインから帰ってきたのだっけ。
プライベートのことといえば自分のことで頭がいっぱいの私はが最近遊び歩かず家にいるわけを知った。なるほど、気がつかない間に男女の関係とは変わっているものだ。
なぁんだ。あなたの方がよっぽど面白いことになっているじゃないの。
「ああ、玲さん。よく来てくれましたね・・・そちらは・・・」
先に到着していたのだろう。ラウンジのソファから腰を上げて駆け寄ってくる男は目を輝かせて私の後ろについたと翼に視線をとめた。
私は曖昧な笑みを浮かべると、腹を括って二人を引き合わせることにした。果たして吉と出るのか凶と出るのか。
「私の妹のです。こちらがはとこの翼」
「どうぞよろしく」
は翼から離れると男に近づき、人のよさそうな笑みを浮かべて右手を差し出す。
男はたちの突然の登場に少し憮然とした様子でその手を握り返しながら、遅れて笑んだ。
男から一時滲んだ気配を敏感に察しながらは挨拶もそこそこに切り出した。
「突然ごめんなさい。お邪魔するつもりじゃなかったのですけど、姉に会うのが久しぶりなので」
「あぁ、それは失礼。僕の方こそ玲さんが忙しい時にお呼び立てしてしまったもので」
挨拶もそこそこに、彼は先頭に立って歩き出した。
約束ではプールバーでカジュアルに過ごそうということだったからそちらに向かっているのだろう。
「暑いでしょう、何かお飲みになります?」
プールバーに向かう道すがら、話を振られて私はどうしたものかと首を傾げた。とりあえず社交辞令。「一緒でいいわ」と言っておく。
どうせ昼間からシャンパンか何かだろうから。と翼を振り返ると、彼女は堂々と言うのだ。
「私シャンパン。出来ればブリュ。ルイーズ・ポメリーがいいな」
の突拍子もない注文に、翼が嗜めるように彼女を見た。確かに、ちょっとどころか最初からかなり飛ばしている。
それにしても、ルイーズ・ポメリーなんて飲んで、誰が運転するというのだろうか。翼だろうか。
私が翼を振り返れば、彼は呆れた様子で肩を竦めながらお目付け役の役割をまっとうするべく、いちおうに耳打ちする。
私の前を歩く男には恐らく聞こえていないだろうけれど、の耳に囁いている低い声が私にはしっかりと聞こえた。
「おい、シャンパンの味なんてわかるのか?」
「美味しいものだってことはちゃあんとわかるわ。多分、翼よりもね」
「お前なぁ・・・ルイーズ・ポメリーいくらするか知ってんの?」
呆れかえったような翼の声を掻き消すように、が囁くように笑うのがわかった。
「いいじゃない。だってあの人お金持ちなんでしょ? そういう記号で幸せになれる人ならそうしてあげなきゃ」
あぁ、そうか。はわかっているのだ。あの男から財産という目に見える付加価値を剥ぎ取ったら彼の中核たる自尊心すら潰えてしまうことを。
そしてあの子はそんな男の浅はかな観照すら巧みに読み取って、男の望み通りに振舞うのだ。きっと、気に食わない振舞いすら意識的に出来るだろう。
あの子は、自分が何を求められているのかわかる。そして、何で出来ているのかすらわかっているのだ。
私は目の前で繰り広げられている光景の滑稽さに気がついて思わず口元を手で覆い隠した。掌の下の唇は言わずもがな笑みをこぼす。
「なんていうか・・・つくづく太いっていうか。っていうか俺、これから何があるかすらちゃんと聞いてないんだぜ? お目付け役なんていうからお前のやることなすことに
いちいちケチをつけなきゃいけないことになってるってわけ。本当、面倒くさいよ。玲、わかってるなら笑ってないで何とか言いなよ。こいつの姉貴だろ?」
翼の言葉に私はただ笑うだけだ。心配をして損した。
は、私が危惧しているような粗野なことはきっとしないだろう。ただほんの少しのほろ苦い毒を含ませた振舞いを投げつけてやるだけなのだ。
世間一般の学生は夏休みとはいえ、赤坂のホテルのプールバーなんて、平日はそれほど多くの人を抱えているわけでもないから私たちのような客やホテルの利用客がごく少数いるだけだ。
だが落ち着いたにぎわいを見せている。男と同じような人種の、若い女の子がプールサイドではしゃいでいるのが見える。
今日の主役とでもいえば気が利いているだろうか。カクテルを片手に可愛らしい笑い声をあげているのを目に留めながら、私はグラスに注がれるシャンパンを眺めた。
私たちのいるパラソルの下にと翼が話しを聞き入るように同席することはなかった。二人は別のパラソルの下に腰を下ろして時折気にかけるように私たちのやりとりを眺めている。
そんな二人の心配そうな視線をよそに、男は二杯めのシャンパンを含んだところでいきなり舌の滑りがよくなったようだった。
「なんで、あんな男と?」
「あんな男って?」
「あなたの婚約者のことですよ。伯父さまがなぜ許されたのか・・・あんな野蛮な・・・―」
「いい言葉ね、気に入ったわ。今度誰かに言ってみようかしら・・・“私の彼、とってもエレガントな野蛮人なのよ”って」
「はぐらかさないでください。きっと、長くは続きませんよ」
「あら、やってみなくちゃわからないでしょう?」
男は驚いたように私を見る。なぜそんなにも無謀なのかとでも問いたげに。
確かに私らしくはないかもしれない。サッカーの中でも先を見通し、常に予測を立てて戦略を練る。そういった、計算し尽くされた世界で生きてきた。
けれど、私は気がついたのだ。そればかりが、もののみかたではないことを。私は男の視線に応えるようにかすかな憐憫を滲ませて微笑んだ。
「愛する女以外への欲望を捨てた男が、どれだけ私の心を泣かせるかわかる? 生きている人の殆どは付加価値を削いだら何も残らないんだってやっと気がついたの。本当に必要だったのは、私があの人にとっての当たり前のものでいられること。そんな素朴な喜びを彼は私に教えてくれたのよ」
「後悔しないんですか?」
「しないわ。私も、他に欲しいものなんてないのよ」
彼は言葉を失ったようだった。なんといっていいかわからないというように呆然とした様子だった。
私は、プールサイドにいるを手招きした。彼女はすぐにパラソルの下で繰り広げられた会話が終止符を打たれたことに気がついてやって来る。
傍らに、自称お目付け役の翼がいないことに気がついてすかさず問いかける。
「お目付け役の翼はどうしたの?」
「電話だって。多分お友達からじゃない?」
「そう。じゃ、一杯どう?」
「付き合うわ」
シャンパンを銀のバゲットから取り出してグラスに注ぐ。なみなみとグラスを揺らす琥珀色の滴は淡い気泡を立てて弾ける。
目が覚めるような音を味わうようには目を細めたが、思い立ったようにすぐに私からボトルを奪うと棒を呑んだように立ち尽くす男に笑いかけて彼のグラスにもシャンパンを注ぐ。
「姉さんの結婚式にはいらっしゃるんですか?」
「いや、それが明後日から出張なんです。残念です」
「あら、それじゃなおさら、姉さんを祝ってあげてくれません?」
「あの・・・」
これには私の方が驚いた。先ほどまで人の結婚にとやかく嘴を入れていた男に今度は祝ってほしいだなんてふつうは言わない。やはり
困惑したようにを見つめる男に、彼女はただ笑う。
「だっておめでたいことなんだもの。眉間にしわなんてよせてないで、こういうのは皆でお祝いしなくちゃ、ね?」
誰からともなくグラスを突き合わせると、は「失礼」と断ってグラスを高々と掲げると自らの頭に零した。私ですら、普段口にする良識的な言葉が出てこない。
の突拍子もない行動は、今度こそ彼を困惑させたようだった。不作法だという言葉すら忘れての顔を凝視するしかないらしかった。
は肌を湿らす琥珀色の酒にまみれた髪をかき上げながら弾けたように笑った。
見計らったように、プールサイドから翼の怒声が飛ぶ。心底あきれ果てたような様子で駆け寄ってくる彼を見つけてグラスを置き、は待ちかねたように席を立った。
「! お前は・・・なんでいつもそうやって―・・・」
「だって気持ちがいいのよ? いいじゃない」
「ったく・・・」
が何事か翼の耳に囁くと次の瞬間彼は驚いたように目を見張り、そして怒ったように微かに頬を染めて小言を言い続けているのが見えた。やっぱり、の方が一枚上手らしい。
延々と続く二人のやりとりに私は笑う。遅れてようやく彼も笑っていいということに気がついたようだった。