magnifique 02
それから、貪るような眠りに堕ちた。
夢も見ないで、ただ暗澹とした暗闇の中に閉じこもったようには動かなかった。丸一日死んだように眠りこけ、それから明くる日の朝には以前のような凛とした姿でブライトの元に現れた。まるで、この間までの様子が幻か嘘だったかのようだと同乗していた船員は語る。は簡潔に、戦場から離れたいという意志とこれからはもう軍に所属する意思がないことと、出来れば地球に降りたいということを露わにした。それが、の出した答えだった。ブライトはの申し出を受け入れ、除隊の手続きをとってくれた。もともとメカニックはパイロットらと同様に入れ替えが激しいために目が悪くなったやら戦役で使えなくなったとでもいえば幾らでも通用するのだった。その上で、地球に降りた際には頼りにするといいとある二人の人物の連絡先をくれた。一人はジャーナリスト、そしてもう一人は資産家だという。一体どのような伝手でこのような連絡先が手に入るのか甚だ謎であったが、はそれ以上言及することをやめた。
「あの、艦長・・・」
「ん、どうした?」
「お世話になりました。あの、どうかお元気で」
軍人を続ける限り無事でいるのは無理な話だ、とブライトは眉を下げて笑ってを送り出してくれた。月面都市フォン・ブラウンに下ろされた人数は約十五人前後。ほとんどが元民間人、もしくはメカニック、そして怪我をしたパイロットたちだった。一旦連邦の基地の一つに下ろされるかと思いきや、民間企業のアナハイム・エレクトロニクス社の実験場に下ろされることになる。連邦の基地では気まずいこともあるのだろう。はそこから民間機で地球行きの便を取ることになっている。地球に行くということは、ブライトにしか話していないことだった。一緒に降り立ったファやカミーユと並んで立ちながら彼らと他愛もない話を続けた。
「そっか、二人とも学校に行き直すんだ・・・」
聞けば、カミーユとファはカレッジかユニバーシティだかの進学のためにもう一度勉強をし直すらしい。そもそもが学生として生活していたのだ、元の暮らしに戻るという感覚なのかもしれない。そのために、学生の集合住宅のような場所に部屋を借りるつもりだという。所属していた軍からは報酬はそれなりに得ているわけで、奨学金もろもろを取得できれば生計を立てられるほどの金額を二人は持ち合わせていた。
「そうなの。は? どうするの?」
「私? うん、そうね。旅をしたいなって思ってて・・・」
「旅?」
「うん、旅・・・」
そこまで言ったところで、は思い出したように二人を振り返った。それは芝居がかった様子もなく、あまりにも自然な仕草だった。逆に自然過ぎるほどに。
「私、少し用があるの。二人は先に行ってて」
「わかった。じゃあ後で」
「うん。じゃあね」
そんなやり取りの後に、は歩きだした二人の背を肩越しにそっと見続けた。次に会うのはいつのことなのだろう。答えが返ってくることはなかったが、民間の企業が運営する空港へ向かうためには歩きだした。憔悴していた自分も、あの星たちに呑まれそうになっていた自分ももうどこにもいなかった。

が、自分自身が探し求めているものの答えが地球にあるのではないかと気がついたのはカミーユの中にある輝きのようなものに惹かれたときだった。思えば傍にいると誓いながら彼から離れることは手酷い裏切りだったが、そんな罪悪感をも凌駕するほどに地球への思いは募っていた。単なる気まぐれなどではなく、知りたいのだ。荒野の一つから都会の一つ、海の涯までも探しつくせるだろう。そうすれば、は自分の魂がいかに荒んでいたかを知ることができる。いや、そうではない。美しいものをひとときでいい、じっくりと眺めて手中に収めた気分になりたいのかもしれない。そう言っても語弊がある。たとえ既に手にしたものと入れ替えることはできなくともそれを眺めることはできるかもしれなかった。空の色がパラソルの隙間からちらつくオープンカフェで、彼女はひとり、泡の立ったコーヒーを啜りながら周りの景色を眺めた。溜息が出るほどの平穏さに、時の流れとはかくも不平等なものなのかとひとりごちた。この間まで彼女は戦艦にいて、格納庫で油にまみれながら作業をしていた。だというのに、今はこんなにも晴れ晴れとした気持ちの中で太陽の下にいる。
「地球の生活には慣れて?」
の目の前の椅子を引いたのは白いドレススーツを纏った金髪の美女だ。名前をセイラ・マスという。美しい彼女はブライトから紹介された地球での案内人のような人であった。白い服を着ても嫌味に感じない、洗練された美しさがそこにはあった。
そして、彼女を前にすると不思議と背筋が伸びてどうも畏まってしまう。どうにも似ているのだ。クワトロ大尉と。
「あ、はい。だいぶ・・・まだ、陽が昇って沈むっていう感覚には慣れませんけど」
「あぁ、そうね。私も最初はそうだったわ、宇宙で育つとわからなくなってしまうのよね」
「そうなんです、空の色がこんなに綺麗だったことも、私は初めて知りました」
そうして、空を見上げるの様子を見詰めながらセイラは微笑する。
「いつ発つの?」
鋭い問いかけには驚いて肩を揺らす。空から視線を剥がすと、すぐさまセイラと向きなおった。
「なんでわかったんですか?」
「わかるわ、私の兄と同じ目をしていたのよ。どこか遠くを見ている。ねぇ、あなたには大切な人はいて?」
「・・・え、はい」
「その人があなたが思っているのと同じ気持ちでいるのならば、それを無下にするようなことをしてはだめよ。わかって?」
「わかってます。でも、本当に大切なら、離れなくてはならない時もあるとは思いませんか?」
不意にセイラの水色の瞳が揺れた。戸惑いを纏ったそれはまるで、純粋な炎の揺らめきのように美しい。けれどもどこか諦めたように溜息を零すとおかしそうに笑い声をあげた。この貴人が声を上げて笑うのをは初めて目にした。
「面白いことを言うのね」
「そうですか? でも私、近すぎるとわからなくなってしまうんです」
「気持ちが揺らぐの?」
「そうじゃないんです。いえ、もしかしたらそうかもしれない。ただ・・・ただ―・・・」
言葉がうまく繋がらなかった。ふと胸の内に蘇ってきたのはあの星の中に消えていった大切な人たちのことだった。命は、命である限り失われてしまうことはわかっていた。死ぬことが怖いわけではないのだ。近づきすぎるとむしろ、自分自身を見失ってしまうのではないのかとは危惧していた。あの星の中に呑まれるように容易く。語り継ぐ言葉を持たないに、セイラは何かを察したのか、優しく微笑んで。
「難しくないことのはずなのに、どうして私たちは簡単に捩じれさせてしまうのかしらね」
セイラの瞳は、どこか懐かしむような色をしていた。そしてまるで、自分に言い聞かせているかのようにその声は鋭く硬い。彼女にもまた忘れ得ぬ人があり、その人に会いたいと思うのだろうか。にはわからなかった。
「・・・セイラさん」
「この先、行く当てはあって?」
あまりにも容易く話を挿げ替えた彼女の切り替えの早さに余裕すら感じる。は頷いた。
「とりあえず、地球を一周してみようと思います」
「それが済んだら?」
「また機械を弄りだすかもしれない。わかりません。とりあえず、今はやりたいようにやります」
「そう。私、あなたが少し羨ましくてよ」
突然佳人から飛び出した不可解な言葉に首を傾げる。
「え?なんでですか?」
「自分に正直に生きられるなんて、最高の贅沢じゃなくて」
まるで祝福のようなセイラの台詞に、は目の前のティーカップをシャンパンのグラスのように掲げながらその中身を一気に飲み干した。

月面都市フォン・ブラウンの夜のリストランテは雨が降ると予告されても、ほとんどいつも賑わっている。
カミーユはいつものように夜市を通り抜けながら、ファと約束していた店へと駆けながら、夜空に広がる星を見上げた。宇宙で戦っていた頃よりも空は腹立たしいほどに遠くなった。モビルスーツに乗っているといつも宙の鼓動を近くに感じていたというのに、もう手を伸ばそうとしても宙は遠ざかるばかりだ。宙はに似ていた。モビルスーツに乗っていた時は、数え切れないほど言葉を交わし、触れ合い、何度も抱きあったというのに。あれほどまで近くにいたのに、今はもう、どこにもいないのだ。もちろん、命が絶たれたわけではない、この世界のどこかにきっと彼女はいるのだろう。けれどカミーユの隣にはいない。なのに日々は過ぎていく。なんと残酷なのだろうか。
「カミーユは、ずるいわ」
雨の降り始めた外の景色を眺めているカミーユを幼馴染のファが叱咤する。彼女はいつもそうだった。遅刻するわよ、爪を噛んではだめよ、まるで母親だ。お節介焼きだけれど、彼女はいつだって暖かい。もう傍でカミーユの悪い癖を質す声は聞こえなくなったと思ったら久しぶりに叱り声が飛んできた。最初はファの薬指の指輪を贈った相手の話だったのだ、けれどもいつの間にか話題はすり替えられてカミーユに矛先が向けられた。
「ファ」
幼馴染は、苛立ちを交えてカミーユを見た。
「そんなに恋しいなら、会いに行けばいいじゃない!」
「・・・わかってる。けど怖いんだ」
「何が?」
「拒絶されることがさ」
まったくもって変わってないとカミーユは思う。結局のところ、責任をに押しつけているだけだった。それすらも素早く見透かして、ファはカミーユの言葉を容赦なく切り捨てた。
「嘘よ、本気だったら探しに行ける筈よ。あなたはただ、地球が怖いだけなんでしょ!」
先ほどまで冷静だったはずの頭には沸騰したようにかっとして血が上った。
「ファ―・・・それ以上言うと、」
「ぶてばいいわ、縁を切る理由が出来て清々するんだから!」
「俺以外に誰が花嫁の介添人をやるんだ」
「好きな人を迎えに行けない意気地なしでなければ、誰だっていいわ!」
ファはそれだけ言い残すと、レストランの伝票の代わりに一枚の封筒を残して足早にその場を去って行った。彼女のことを祝福するはずが、あまりの出来事に苛立ってしまったのはカミーユの非だ。机の上に無造作に置かれた封筒は封がされておらず、慌てて開けばそこには簡素なメモの上に几帳面な文字が躍っていた。

潮風が髪を弄る。
浜辺の近くの屋根付きの車庫に停めた古びたスポーツカーの中で、は手紙を書きながら顔を上げた。傍で不穏な音が聞こえたのだ。だがそれは生憎と人の気配ではない。ここを貸してくれている持ち主はここには近づかないと言っていたからそれはありえなかった。それゆえに、もっと別のものだと気がつくのにそう時間はかからない。は作業を中断して手紙を車のダッシュボードに押し込みながら運転席を這い出た。狭い車庫から顔を出すと、目の前には夜の闇と雨と雷の轟がすぐにも五感を刺激した。初めて見る光景だった。
コロニーに雨は降っても、あの闇を裂くように光り輝くものを見たのは初めてだった。意識せずして、は砂浜を素足のまま踏み出した。駆けだすと濡れた砂地がぬめって足に纏いつき、雨が服を濡らしたが、そんなことも厭わずにただ呆然と立ちつくすようにして彼女はそこにいた。空には青い雷光が煌めき、垂れ込めた雲の間を縫って鋭く光り輝いている。その輝きは魂の奥を照らすように何度も何度も光り続ける。雨が海に降り注いで飛沫を上げ、砂浜に水音を立てて鏡のような水溜りを創り上げて、の全身を浸した。ただ魅入られたように空を見つめる。雨が身体を伝い、身体を洗い流すに任せた。苦しみが流れ出し、全てが過去のものとなって過ぎ去っていくようだった。初めて呼吸することを知ったように、肺一杯に空気を吸い込んで満たし、吐き出した。鮮烈なまでに美しい光が空を駆け抜け、は溢れ出る涙を止めることはなかった。ましてや拭う事も。
